MBC不動産コラム
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2025/02/24
2025年1月末から2月初旬にかけて弊社販売物件である
『MJR鹿児島駅ガーデンコート』
の契約者に向けて物件内覧会が実施されました。 鹿児島駅徒歩約3分、ドラッグストアモリ隣接、
全戸東南向き88邸。 多彩な共用部があり、駐車場附置率100%、
利便性と居住性を兼ね備えたレジデンスです! ご契約者の方にとっては、
ご自身が契約した部屋を実際にご覧になる初めての機会となるため 、 皆様、楽しみにして当日を迎えておられました!
お部屋を内覧されて満足げにエレベーターを降りてこられるご契約
者のお顔を拝見することができて営業冥利に尽きる数日間でした。 末永く充実したマンションライフを送っていただきたいです!
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2025/02/17
この度、不動産売買に関する情報誌『Mすまいる』
を発行いたしました。 不動産売却の流れや、どのように依頼したらいいのか? どのような売却活動をするのか? 買取のメリット・デメリットや売却時の税金特例、
購入の流れやよくあるご質問などをまとめた冊子になります。 売買各店舗(本店、谷山店、伊敷店)にて、
ご相談頂いたお客様に配布いたします。 弊社は不動産売買のほか、賃貸、建売住宅販売、
注文住宅やビルの建設、リフォーム工事、 生命保険及び火災保険のご加入、 資産のコンサルティングや相続相談の専門部署があるなど不動産に 関連した専門部署と連携を取りながらお客様に最適な提案をできる ように取り組んでおります。 そのような内容も含めました情報誌になっております。
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2025/02/10
2月に入り、立春も迎え、すこしずつ気候も良くなりつつ…
ん?良くなっているのか?
いや、俄然寒くなっているのではないですか?
そう!それもそのはず!
立春とは読むと春という漢字が入っているので、春の始まり?
と思われている方も多いでしょう 立春とは、二十四節気(にじゅうしせっき)において、
春の始まりであり1年の始まりとされる日です。二十四節気は紀元 前の中国で生まれた、太陽の動きに基づいたこよみです。 1年を4つの季節に分け、 さらにそれぞれの季節を6つに分割しています。 4×6=24なので、二十四節気…ということみたいです。 じゃあやっぱり春の始まりなのでは?と思うのですが、
どちらかというと後説の部分の二十四節気という、 1年の始まりという方が主なようです。 そんな中、南国鹿児島とはよく言ったもんで
今年も雪がちらつきました。
市内中心部は、ニュースで言われる程の積雪とまではいかずとも
多少は積もっていました!
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2025/02/03
「鬼は外、福は内」今年も節分(旧正月)の時期となりました。
今年は、立春が2月3日ということで、 2月2日が節分だそうです。 こどもが小さかったときは、
よく鬼のお面をかぶって豆をぶつけられていたのを思い出します。 昨今は、恵方巻きをその年の方位(西南西やや西らしいです) をみて黙々と食べることが多くなりましたが、 自分が子供のころは食べた覚えもなく、 よくよく考えてみるといつごろから食べているのだろうと不思議に 思うことがありました。 そこで以前調べてみたのですが、
この風習には諸説あり、その中でも有力なものに、 江戸時代から明治にかけて大阪でローカルだったものを大手コンビ ニエンスストアが火付け役となり全国に広げていったようです。 恵方巻きを定着させたマーケティング手法は素晴らしいものを感じ ます。 何はともあれ、「邪気を追い出し、幸福を招き入れ、
今年一年無病息災で過ごせるよう願う」 という日本の良き風習として、恵方巻き・ 豆まきは代々受け継いでいってほしいものです。
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2025/01/27
かつて、伊集院~枕崎間を走る南薩鉄道という私鉄がありました。
開業が大正3年、伊集院から加世田まで所要時間が1時間30分余り、 当時の車両はドイツ製の蒸気機関車で、客車の座席はゴザ張り、 灯はランプでした。
その後、本線は枕崎まで延伸され、阿多から知覧までの知覧線(南薩中央鉄道)も開業し、 南薩地区における鉄道網は確立しました。
当時、南薩から鹿児島市までの道路は、伊作峠や川辺峠など馬車がやっと通れるほどの山の道で、 時間も労力も要し、かなりお粗末なものだったとのことです。
そんな中、明治45年に加世田出身の鮫島慶彦氏が私財を投じて、有志を募り、資本金100万円で、 南薩鉄道株式会社を設立しました。鮫島氏は、 鉄道のみならず万之瀬川水力発電所の設立にも携わり、 まさに南薩の発展に尽力した方でした。(現在、 竹田神社の境内に銅像が建立されています)
南薩鉄道が戦前・戦後を通じ南薩の大動脈として、地域の発展に寄与したことは言うまでもありません。
しかしながら、時代の流れとともに、経済が回復しトラックやバス輸送が盛んになり、 沿線の過疎化が進むなど、ついに、 昭和58年の集中豪雨による線路被害を機に、 昭和59年3月に本線は廃止されました。
私と南薩鉄道との思い出と言えば、駅は、家の近くだったこともあり、いつもの遊び場でした。
高校生になると、野口五郎の「私鉄沿線」という歌が流行ったころ、歌詞と自分を重ねて口遊みながら、 沿線をよく散歩しました。
特に「♪♪改札口で君のこと・・・電車の中から降りて来る君を探すのが好きでした」 ここのフレーズが気に入っていました。 誰も降りて来るはずもないのに。
携帯もないころです。駅には伝言板があり、男女のカップルの「1時間も待った。もう帰ります」という、 こんなメモもよく見かけました。昭和のイイ思い出です。
大学生になると帰省は、いつも南薩線を利用していました。伊集院駅でお土産の伊集院饅頭を買い、 枕崎まで1時間30分程度、列車はほどよく揺れて、 沿線の風景を楽しみながら、加世田を過ぎ、 津貫を過ぎると車内は、枕崎弁があちこちで聞こえてきます。
かつお節の行商のおばさんたちに出くわすことも、しばしば。甲高い、ちょっとアクセントの違う話声は、 枕崎に帰って来たという気持ちになる瞬間でした。
吹上高校に通う友達から、こんな話を聞いたことがあります。伊作駅からさつま湖駅までの間に傾斜の厳しい坂があります。 乗客が多い時など、列車が、登り切れないこともよくありました。 そんな時は決まって、学生さんたちを下車させ、 線路に滑り止めの砂をまき、 何回もチャレンジしてようやく登ったとか。
また、先輩たちから教えてもらった歌に、「南薩線唱歌」があります。
♪♪永吉(ながよし)顔よし、身体(からだ)よし、一目見た子に惚れちゃって、人は吉利(よしとし)言うけれど、 伊作(いざく)を過ぎれば、僕のもの、上日置(かみひおき) から乗るあの子、あの子は僕の伊集院(いじゅういん)、 ああー恋の南薩線♪♪
学生さんも、列車の中でいっぱいの出会いや恋もあったことでしょう。
南薩鉄道は、旧加世田駅跡に記念館が建てられており、今も当時をしのぶことができます。
一度、訪ねてみたら。きっと昭和のすばらしさが分かると思います。
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2025/01/13
私にとって新年一番の楽しみといえばやっぱり「お年玉」でした。
毎年、親戚からもらったポチ袋を開封していく瞬間がとてもワクワクしていたことを覚えています。
さて、今年は高校生のいとこにお年玉を渡しました。
昔はよく 兄ちゃんと話しかけてくれていたのに、今では口数も減り、「ありがとうございます」と照れくさそうに礼を言う姿に成長と寂しさを感じました。
そんないとこにもガールフレンドができたようです!
二十歳になったらお酒でも飲みながら、また楽しく話ししたいなぁと思う正月でした。
余談ですが、近年巷では「お盆玉」という新風習があるようです。
物価高の世の中で誰がそんなことを思いついたのか、、、って感じですが、半年間かけて少しずつ積み立ていきたいと思います。
2025年も頑張れそうです!
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2025/01/06
新年あけましておめでとうございます。
皆様にとりまして幸せと繁栄に満ちた年になりますように。私も少しでも人として成長できますように一年を通して努力する所存です。
今年も初日の出に向かってお馴染みの誓いをしました。
結果は又、来年にならないと判りません。
処で、年末の年越しの仕方が変わってきたと思います。
昭和の時代、我が家では、家族や親族でレコード大賞や紅白歌合戦を観覧しつつ、
おせち料理や年越しそばを食べて除夜の鐘が鳴るまでの間、コタツの中で半分ウトウトと過ごしていました。
ゆっくり時間が流れてアナログで暖かなレトロな感じが残っています。
直近、特に令和になりますとコロナ流行制限もあり少数家族で殆どいつも通りの平凡な日常的休暇を過ごしています。
季節感が無くてなんとも寂しい年末・年始の過ごし方になったものだと実感しています。