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「田の神様(たのかんさ~)盗い(おっとい)」

「田の神様(たのかんさ~)盗い(おっとい)」

4月に入り、県下各地では、早期米の田植えが最盛期を迎えています。南さつま市金峰町では、早い農家は3月ごろから植え始め、お盆前には新米を全国に出荷するそうです。「金峰コシヒカリ」は、全国的にも評価が高く鹿児島のブランド米です。

 田植えといえば、鹿児島市内でもよく田の神様の石像を見かけることがあります。

石像の田の神様は全国的にも珍しく南部九州だけで、ほとんどが江戸中期に建てられたものが多いようです。(写真は市内中山地区に建てられた田の神様です。享保年間・1716年のものです。)

 江戸時代の薩摩藩は8公2民という税制を設けていました。つまり年貢の取り立てについて、米の出来高のうち、8割を藩へ差し出し、2割が農家の取り分だったということです。全国平均が6公4民ほどだったので、薩摩藩は年貢の取り立てが厳しかったのです。それでも薩摩には餓死する人がいなかったのは、カライモがあったからと言われています。

 そんなころの話です。鹿児島(さつま)には、「田の神様(たのかんさ~)おっとい」というならわしがあったそうです。不作なところの村人が豊作をもたらしたところの田の神様を盗み、自分たちのところの田んぼに据え付け、自分たちの村が豊作になるまで拝借したそうです。そして豊作になった暁には、お礼の品々を添えて、また前のところに返しに行ったそうです。

こっけいな話ですが、農業技術も乏しく化学肥料もないころ、長老の経験と勘がたよりでした。最後は、神様(田の神様)にすがったのでしょうか。

 村人たちが、本気で田の神様を信じていたのか、レクレーション気分だったかは、定かではないが。

 科学技術が進んでいる現在においても、農業は天候に大きく左右され、不作続きの年もあります。さらには、農業を取り巻く環境は、担い手不足の問題やTPPの問題など多くの不安要素が山積されています。こんな時代だから、田の神様には、まだまだこれからも頑張ってほしいと思います。